神社


2010.3.10
中の島神社の状況について

 中の島神社は、明治10年頃 中の島1条2丁目(現在は犬飼康治さんの地所)に開拓者有志が小さな祠を祀ったのが始まりでした。大正2年頃、祠のあった中の島一区をクリスチャンであった吉田氏(眼科医)が買い取り、ぶどう園としたことから部落民7~8人で祠を担いで現在の地(中の島2条3丁目)に移動しました。氷池に隣接した中の島神社は水産孵化場が神社敷地を含めて河川の占用を受け使用していたものと推測されます。
 しかし、区画整理事業(昭和33年~昭和44年)の都市計画決定に先立った縦覧中に当初第1号公園として指定していた水産孵化場が中の島神社敷地を分離したため、昭和38年からは地元住民が河川占用許可を受けて占用料を支払い続けてきたのです。
 昭和54年からは河川敷地の廃止に伴い、財産が河川敷地から売り払いが可能な第2種普通財産に変更となり「売り払い」を前提として中の島の住民と交渉を重ねてきましたが、高額のため折り合いがつかず現在に至っています。
 砂川神社の最高裁判所判決を受けて、2010年1月22日から5回に渡って関係役員による勉強会を行い、三回目からは道庁を交えて検討を行いました。 最終的に道庁の提案は将来の「売り払い」を前提とす
る「貸付による賃貸借契約」となりました。
 今後は単位町内会の会長が地元に持ち帰って「将来に渡って中の島神社を維持するにはどのような手段が考えられるのか」について広く皆さんの意見を諮ることになりますので闊達に皆さんの意見をお寄せ下さい

神社2.jpg昭和14年頃 中の島神社神社.jpg昭和30年 神社神輿

2010.1.20 
中の島神社の現状について

大正3年から今の位置にある中の島神社ですが、当時この土地は河川区域であり、昭和38年から53年までは中の島神社運営委員会で河川の占用料を払ってきました。
 昭和54年には北海道管理の第2種普通財産に用途変更となり中の島神社運営委員会と「売り払い」を前提にした協議に入りましたが折り合いがつかず、実質無償使用のまま現在に至っています。
 こうした中で、2010年1月20日に砂川神神社に対する公共用地の無償貸与に関して最高裁判所は違憲判断を示したため、北海道としても放置できなくなったことから、売り払いを含めた有償貸付等の申し入れをして参りました。
 今後の対応については北海道札幌土木現業所管理部用地課と過去の経緯等の勉強会を重ねて納得のいく解決策を模索していきたいと考えています。

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