中の島神社の経緯

 中の島神社の記録

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お正月の中の島神社                            勉強会を行なう中の島地区神社運営委員会
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平岸1条17丁目の三十三観音にある孵化場神社の祠(網走刑務所に作らせたもの)
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中の島では地域の文化を継承することを目標にして「子ども相撲」や「お御輿渡御」を実施しています。

中の島神社は明治10年頃、開拓者5名位が中の島地域の守護のため三神の神を祀ることを計り、中の島一区犬飼竹治氏宅の南隣で大楓の下にある小さな祠を祀って祭礼を行なっていたものです。
この付近の土地は札幌の谷七太郎がフドウ園としていたが、大正二年にクリスチャンの吉田眼科医に売り渡し、部落民7~8人で現在の地(中の島2条3丁目)に移動したものである。
大正14年には7坪5合の神殿を造営し、遷宮。
戦後には水産ふか場所有であった「厳島神社護息災所」とする弁天宮命を合祀し4神を祀ることになった。
【これまでの経緯】
・昭和32年 土地区画整理事業により水産ふ化場の1号公園に指定。
・昭和38年 水産ふ化場敷地に換地。ふ化場では神社敷地の土地占用を廃止。これ以降地元の榎本正三氏(後に橋谷豊二)が河川占用料を支払った。
・昭和54年 用地は国から道庁に譲渡され第二種普通財産となり、これ以降は地元と道庁は売り払いに向けた交渉を行なっている。
・平成22年1月~平成23年5月
地元では8回に亘って中の島神社勉強会を開催している。

【参考記録】 中の島神社の年表

2010.3.10 中の島神社の状況
2010.6.25 ふ化場神社について
2011.3.01 道庁総務部へ中の島神社に関する質問状の提出
2011.4.04 質問状に対する道庁からの中間回答
2011.5.17 質問状に対する道庁からの最終回答
2012.1.08 中の島神社の最新状況
2012.2.27 道庁からの新提案
2012.3.8  第9回中の島神社勉強会

2011.3.1 ぶらんとマガジン3月号